善人でさえ非喫煙者の前で煙草を吸うはなぜだ。

  1. ひねくれ・文句

普段はめちゃくちゃ優しくて、すごく気遣いのできる人間でさえ、喫煙となるとんとんでもない悪人になる。
これが不思議でたまらない。

誰かを殴らないと気が済まない病の人がいたとして、「それなら仕方ない。殴っていいよ。」て言えるの?

まずは、昨今の喫煙者の肩身の狭さに対して「喫煙者がかわいそう」と本気で言っている愚かな人に教えます。

こういうのって、自分の能動的な行動により誰かに迷惑かける側の人間が我慢するべきだ。

じゃあ、誰かを殴らないと気が済まない病の人がいたとしよう。
その人に対して、「ああ、なら仕方ないね。なら周囲も殴られるの我慢しなきゃ」と思いますか?喫煙者のあなた。

性犯罪に対して、「ああ、なら仕方ないね。この人が性衝動を抑えられないのならレイプも周囲は理解しないとね。」と言えますか?喫煙者のあなた。

何か行動を起こす側が、他人に迷惑をかけない方向で解決するのがまっとうでしょう。

また、上述のたとえ話ですが、決して喫煙を大げさにしすぎた話でもない。
副流煙が健康に害なのだから、殴らないといけない病の話も飛躍した話じゃない。

喫煙エリアがどんどん狭くなって肩身が狭くなろうが当然のことだ。

自分の癖のせいで目の前の人の健康を害することに何も感じないのか?

普段は良識にある善人でさえ、喫煙のときだけは自分の悪行に気づかない。

「煙草を吸いたい」という気持ちだけで、目の前の人間の健康を害すことに何も思わないのだろうか?

仮に、「吸っていいよ」と相手が言ったところで健康を害する事実は変わらないが、多少は引け目は感じているのだろうか?

僕は昔からずっと思ってたのですが、「いいよと言ってくれたけど本当は嫌なのかな・・」とか思ったら、到底非喫煙者の前で吸おうなんて絶対に思えない。

 

ここまで言ってあれだが、煙草を吸っている「姿」には色気を感じます・・・・

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